よく発達障害者は「生きづらい」と言われています。
decoもそうです。
頑張っても頑張ってもみんなと同じようになれない、全力を出し切っても「普通」になれない、「甘えている」と言われる......
衝動性をコントロールできず、大切なものを壊し、大好きな人を傷つけてしまう。
コミュニケーションの仕方が分からず、いじめられ、除け者にされ、辛くても泣いても誰も分かってくれない、理解してもらえない。
感覚過敏の辛さ。
障害の特性から、集団活動でも誰かに我慢してもらわなければいけない。誰かの役に立ちたいと思っているので、迷惑ばかりかけてる自分への嫌悪感。
…...
当事者の方なら、これらのこと、よく分かりますね。
「生きづらさ」のことを。
「生きづらさ」は障害の方のみならず、定型さんにもあります。
ブラック企業で働いて精神的に追われ、自ら命を絶えた方。
貧困に耐えられず、世を離れることを決めた方。
家庭暴力で心痛み、生きることを諦めた方。
人それぞれが、実は多かれ少なかれ、「生きづらさ」を持っているのではないでしょうか。
最近のトップニュースの一つに、米国のシリア襲撃があります↓
この写真は、ミサイルがシリアの首都に当たる直前の米国ミサイルの写真です。
ミサイルの下にある町を見てみて下さい。
まだ明かりが灯っています。
建物が、家が、まだ建っています。
その建物の中には、まだ幸せを持っていた人々が住んでいました。
まだ彼らは生きていました。
夢を見ていました。
希望を持っていました。
まだ、平和を持っていました。
けどそれが一瞬にしてなくなりました。
この写真が、その最後の一瞬でした。
私は長い間自分の「生きづらさ」と戦ってきたけど、ニュースを見て、「生きづらさ」ってなんだろうと改めて考えました。
もちろん彼らと比較して自分の今の生活に感謝しろなんてことは言いません。それぞれが辛い、大変だと思うことがあるのなら、それがその人の一大事です。
戦争で人は死ぬ。
命の維持さえ難しく、人は殺され、「生きづらさ」を感じる。
でも、平和な国でさえ、非正常な死は発生します。
命の維持に支障はなくとも、自ら死を選ぶからです。
どうしてでしょう。
「生きづらさ」を感じたからです。
戦争での「生きづらさ」、平和での「生きづらさ」。
なんなんでしょうね、これ。
しかし、死を決めたほとんどの人は、本当は生きて生きて生きたかった人たちなんです。
幸せに生きたいと思ってきた人たちです。
うつ病の方は頑張りすぎてはいけないと聞きます。気合を無理矢理入れれば入れるほど、それが実際に出来ないギャップで精神的に苦しむからだそうです。
幸せに生きたい生きたいと思えば思うほど、現実に出来ない......それが人を死に追い込んだのではないでしょうか。
decoは教会のメッセージで、「自殺は悪魔の策略だ」と学びました。
「悪い思いは、悪魔のささやき」、と。
だからネガティブな思いが押し寄せた時、「これは私の本当の想いではない、悪魔の仕業だ」と思って、ただ別の事に夢中になったり、いっそ昼寝したりと、意識をそらすだけでなく、悪い思いを明確な「敵」と思って一生懸命戦います。
まだ辛い状況から抜け出せなくても、「生きづらい」と感じても、とりあえず一歩一歩進むのです。
無理しなくてもいい。自分を追い込む必要はない。
少しずつでも進めていればいい。
一歩一歩。
一歩一歩。
自分の人生と他人の人生を競争させないことです。
あなたが生きることにおいて、あなただけの時間軸があるのです。
幸せも、希望も、何もかも。
それらは来ます。きっといつかは来ます。
最後にーー
悪魔は戦争では戦争ならではの、平和では平和ならではの人を殺す方法を知っています。
奴らは今日も明日も隙を狙って襲ってくるかもしれませんが、
絶対に罠にかからないで下さい。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、 歩き回っています。 」(第一ペテロ5:8)
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