decoの凸凹探求ノート

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【教会コラム】世界の始まる前から隠されていた奥義


Hatena

 愛なる神はアダムの不従順によってすべての人が死の道に行くようになることを世界の始まる前からご存じでした。それで、驚くべき知恵をもって人間の救いの道を備えて、時になるまで奥義として隠しておかれました。もし敵である悪魔がこのような奥義を知ったなら、罪を犯したアダムから任されたすべて権力を奪われないように、人間の救いの摂理を妨げることがあるからです。

 

 

1. 世界の始まる前から隠されていた奥義

 エバを惑わして、善悪の知識の木から取って食べるようにした蛇は、神に呪われて腹ばいで歩き、ちりを食べなければならないようになりました(創世記3:14)。神が「彼(女の子孫)は、おまえの頭を踏み砕き」と言われたので、狡猾な蛇を操った敵である悪魔・サタンは女の子孫、すなわち、イエス様が生まれて、自分を踏み砕くことを知っていました。それで、イエス様がお生まれになったとき、悪いヘロデ王をそそのかして、幼子イエスを殺すために、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させたのです。
 神は、主の使いが夢でヨセフに現れて言い、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げるようにされました。ヘロデが死ぬと、イエス様はエジプトを離れてガリラヤ地方のナザレに住みながら、公生涯に備えられました。三十歳からは救い主の使命を果たすために公生涯に入って、生ける神を証しされました。御国の福音を宣べ伝え、病人をいやして悪霊を追い出してくださるので、多くの人が信じて従いました。
 敵である悪魔・サタンはイエス様を亡き者にしてこそ、自分たちがとこしえに世を支配できると思いました。それで、祭司長と律法学者とパリサイ人をそそのかして、イエス様を殺そうと策略を企みました。結局イエス様の頭にいばらの冠をかぶせて、十字架に両手、両足を釘づけさせました。
 このように徹底的に女の子孫を殺したのですが、ここには神の奥義としての摂理が隠されています。[第一コリント2:7_8]に「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」とあるとおりです。
 神は何の罪もないひとり子イエス様を十字架につけられるように渡すことによって、すべての人が罪の問題を解決されて救われることができるように、世界の始まる前からあらかじめ定められたのです。このような人間の救いの道が世に知られると、敵である悪魔・サタンに妨げられて、人類の救いの働きを成就できないので、神の知恵によって奥義として徹底的に隠しておかれました。
 それでは、イエス様の十字架の死がどう死にかけていた人類にとって救いの道となったのでしょうか? 神は公義に合わせてすべてのことを霊の世界の法に従って行われる方です。国にも法があるように、霊の世界にも法があります。その例として、罪人に罰を加える「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法があります(ローマ6:23)。死は罪人にだけ該当するものです。
 ところが、何の罪も傷もないイエス様を、敵である悪魔・サタンが人々をそそのかして十字架につけて殺したので、霊の世界の法を犯したのです。これによって、最初の人アダムが不従順の罪を犯して、敵である悪魔に奪われた権力を取り戻せる道が開かれました。もし敵である悪魔・サタンが神の奥義としての摂理を知っていたとすれば、イエス様が木の十字架にかけられて死ぬようにしなかったでしょう。
 [ローマ5:18]に「こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。」とあります。最初の人アダムの違反によってその子孫であるすべての人が死ぬようになったのと同様に、イエス・キリストによって多くの人がまことのいのち、永遠のいのちを得るようになったのです。
 イエス様は霊の世界の法に従って、すべての人を救うために人となってこの地上に来られました。人でありながらアダムの子孫であってはならないので、おとめマリヤのからだを借りて、聖霊によって宿ってお生まれになりました。原罪と自分で犯した罪がなかったので敵である悪魔に勝つ力があったし、愛があったので私たちの罪を代わりに負って十字架につけられて死なれました。
 ところが、敵である悪魔は全く罪のないイエス様を十字架につけて殺したので、霊の世界の法を犯したのです。これによって、死の力を打ち破ってよみがえられたイエス・キリストを受け入れて、その名を信じる人はだれでも、神の子どもとされる特権を得ることができる道が開かれました。これがまさに世界の始まる前から隠されていた奥義であり、推し量ることのできない神の知恵であり、愛なのです。


2. 神の子どもとされた特権と祝福をいただくには

 神の子どもとされた特権はこの世のどんな特権とも比べられません。一国の王の子どもでも特権が大したものなのに、まして人類の歴史をつかさどって、宇宙万物を治めておられる創造主の神の子どもとされた特権はどうでしょうか。
 教会に通っている人の中には、イエス・キリストを受け入れて聖霊を受けた神の子ども、すなわち、聖徒がいるかと思えば、教会だけ行ったり来たりする人がいます。そういう人は教会に出席しているだけで、信仰があるのではないので、神の子どもとされた特権と祝福をいただくことができません。もし聖徒の信仰になれないなら、世の人と違うところがないので、心の戸をあけてイエス・キリストを受け入れて、神の子どもとされなければなりません。
 ヨハネの福音書4章には、サマリヤの女が救い主として来られたイエス様を受け入れる過程と、彼女がイエス様を受け入れてから人々に福音を伝えると多くのサマリヤ人がイエス様の前に出て来る場面が記されています。
 イエス様の時代、ユダヤ人はサマリヤ人が異国民族との混血だという理由で彼らとつきあいをしなかっただけでなく、サマリヤの地を踏もうともしませんでした。もしその地を通って行かなければならない場合は、遠回りして行くほどでした。
 しかし、イエス様はこれを全く気にされませんでした。サマリヤを通っているうち、井戸のかたわらに腰をおろしておられながら、ちょうど水をくみに来たサマリヤの女に「わたしに水を飲ませてください」と言われます。
 その当時、地域の特性上、イスラエルの旅行者はいつも水を持ち歩いていました。ですから、水がなくなったはずがないし、もし水がなくなっても、弟子たちが食物を買いに町へ出かけていたのでちょっと待てばよいのに、イエス様はなぜサマリヤの女に水を飲ませてくださいと頼んだのでしょうか?
 [黙示録3:20]に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とあります。このようにイエス様は福音を伝えるために、サマリヤの女の心をたたかれたのです。結局、女はもちろん町の人々も心の戸をあけて、イエス様を救い主として受け入れました。
 このように神が伝道する人を通して心をたたかれるとき、誰でも心の戸をあけてイエス様を救い主として受け入れれば、神の子どもとされる特権を与えられて、天国に入れるのです。[ヨハネ1:12]に「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」とあるとおりです。
ところが、イエス様は「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)と言われました。[ヤコブ2:14]に記されているとおり、行いのない信仰によっては救われることができないからです。
 神がなぜ人を創造して、善悪の知識の木を置かれたのか、なぜイエス様だけが救い主であって、どう救いに至るのか、人間の救いの摂理を悟って神のみこころを行う時でこそ、天の御国に入れます。私たちが果物の味を知ろうとすれば、単に表の形だけを見るのではなく、必ず食べてみなければなりません。このように「イエス様が私たちの救い主である」と漠然と知っているのではなく、どのようにしてイエス様が私たちの救い主になるのかという十字架の摂理を悟ってこそ、行いが伴う信仰になれるのです。
 愛なる神は滅びの道に行く人の子らを救うために、世界の始まる前からイエス・キリストを備えられました。人間の救いの道を完成するためにイエス・キリストをこの地上に遣わされた神の大なる愛を悟って、ただ神のみこころを行い、神の子どもとされた特権と祝福を思いきり味わいますように。

 

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