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【教会コラム】水と御霊によって新しく生まれてこそ救われる


Hatena

 パリサイ人たちはモーセの律法を徹底的に守って、先祖代々伝えて来た伝統を大切にしました。彼らは復活と御使いと終末論、そしてメシヤが来られるということを信じ、自分たちなりに神を正しく信じていると思っていたイスラエルの指導層でした。 

 ところが、イエス様は彼らに向かって「わざわいだ。」と厳しく責められます。外側の姿は聖なるふりをしているが、心の中は強奪と放縦でいっぱいで、白く塗った墓のようなものだったからです。彼らは神のことばを教える立場にいたのに、イエス様が伝えておられる真理を悟れなくて、むしろイエス様を排斥して殺そうとしました。

 

 

 

1. 良い心を持っていたニコデモ

 ニコデモはパリサイ人でしたが、良い心を持っていました。イエス様が行う不思議としるしを見ながら「神のもとから来られた教師」と思ったことだけを見てもわかります(ヨハネ3:2)。彼はユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織「サンヘドリン」の議員であって、社会的には最高の権力と富と名声を持っていた上流階層の名士でした。
 律法に詳しく、徹底的に守る彼でしたが、日が経つほど真理を慕いあえぐ心はさらに深くなりました。彼にとって、不思議としるしを行って福音を伝えておられるイエス様は普通の人と違うように見えました。宣べ伝えるすべてのことばが確信に満ちた真理のみことばであり、その方の教えから知られざる権威が感じられました。
 彼は、夜、人の目を避けてイエス様に会いに行きます。周りの人々の目が気になったからです。そんな彼がイエス様に出会った後には変えられます。イエス様を悪く言うパリサイ人たちの前で「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」とイエス様を擁護しました(ヨハネ7:51)。
 このような発言はユダヤの指導者としては決して簡単にできることではありません。まかり間違えば職位を剥奪されて、迫害されることもあるからです。それでもイエス様を擁護したのは、ニコデモがどれほど真実で、イエス様への確固たる信頼を持っていたのかを伝えてくれます。イエス様が十字架刑にあって死なれたとき、没薬とアロエを混ぜ合わせたものを持って来て葬ったことだけを見てもわかります(ヨハネ19:39_40)。

 

2. イエス様とニコデモの霊的な対話

 ニコデモはイエス様に会って「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」と尊敬の意味を込めて告白しました。イエス様が死人を生き返らせ、全く見えない人が見えるように、口のきけない者がものを言うように、歩けない者が歩くようにするなど、人としてはできない驚くべき神の力を行われるのを見て、正しい良心によって神のもとから来られた方だと思ったのです。
 ところが、ニコデモの告白を聞かれたイエス様は「あなたの言ったとおりだ」と言われるのではなく、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われました。これは霊的に無知なニコデモを悟らせてくださるためでした。
 ニコデモはイエス様のおことばが何のことなのか理解できませんでした。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできないとは。どうやって人がもう一度生まれることができるというのか。」それで、ニコデモはイエス様に「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」と問い返しました。人は一度生まれれば再び母の胎に入れないのは明白な事実ですが、霊的に悟れないので、肉的な質問をするしかなかったのです。
 すると、イエス様は「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」と言われます(ヨハネ3:5_7)。天国に入ろうとするなら、誰でも水と御霊によって新しく生まれて、霊が再び生き返らなければならないことを知らせてくださったのです。

 

3. 水と御霊によって新しく生まれるとは

 それでは、人の霊がどのようにして死ぬようになって、どのようにしてこそ水と御霊によって新しく生まれて天国に入れるのでしょうか。最初の人アダムはこの地上の土で造られましたが、いのちの息、すなわち、神の初めの力が吹き込まれると、霊的な存在になりました。つまり、「生きもの」になったのです。
 ところが、神に聞き従わないで罪を犯したので「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法に従って、霊が死んでしまいました。罪を犯す前のアダムは神といつも交わりながら真理を供給されていましたが、霊が死ぬと、神との交わりが絶えて、肉の人に転落してしまいました。つまり、神から霊の知識を供給されなくなると、代わりに敵である悪魔・サタンが植えつける真理でないものを受け入れて、世の欲を追い求めて生きていくようになったのです。
 「霊が死んだ」とは、アダムが罪を犯して神との交わりが絶えると、真理である霊の知識が抜け出て、真理でないものが入って来て、霊が身動きできないように包んでしまうので霊が活動できず、死んだようになった状態のことを言います。このように最初の人アダムの霊が死んだので、彼の子孫であるすべての人類も霊が死んだ状態で生まれて、闇と友になって地獄に行くしかなくなりました。
 愛なる神は人の死んだ霊を生き返らせて、天国に入れる道を備えられました。その道がまさにイエス・キリストを受け入れて、水と御霊によって新しく生まれることです。
まず、人が「水によって新しく生まれる」とは何のことでしょうか。それは神のことばのとおり行い、心の割礼を受けて、真理に変えられていくことを意味します。ここで「水」とは、永遠のいのちへの水、すなわち、真理である神のことばを意味し、みことばが人となってこの地上に来られたイエス様を指しています。
 <ヨハネ4:14>で、イエス様は「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」と、永遠のいのちへの水について教えてくださいました。
 水はのどの渇きを解消して、いのちを維持し、汚れを洗ってくれます。同じように、神のことばは心にある醜い汚れた悪を洗い落とします。しかし、目の前に水があっても、飲まなければのどの渇きを解消できないし、洗わなければきれいになれません。同じように、永遠のいのちへの水である神のことばを知っていても、守り行わなければ何の役にも立ちません。「してはならない、避けなさい」と言われたとおり、憎しみ、ねたみ、さばき、罪に定めることなど、真理でないものを捨てれば、心がきれいになります。
 これとともに「しなさい、守りなさい」と言われたとおり、愛して仕え、相手の利益を求めなさいというみことばを行っていけば、心の中に真理が満たされます。このように真理でないものを捨てて、神のことばである真理で満たすことが「水によって新しく生まれる」ことです。

 次に、「御霊によって新しく生まれる」とは何のことでしょうか。私たちが救われるためには、水、すなわち、神のことばによって新しく生まれなければならないだけでなく、御霊によって新しく生まれなければなりません。イエス・キリストを受け入れて、心を砕いて罪を告白することによって賜物として聖霊を受けてこそ、死んでいた霊が生き返って、神が望んでおられる御霊の人に変えられることができるからです。
 助け主聖霊は私たちの心の中に来られて、死んでいた霊を生き返らせ、真理のみことばを悟って罪を捨てるように助けて、真理の人、御霊の人に変えさせてくださいます。このように聖霊に助けられて死んでいた霊が生き返り、罪を捨てて御霊の人に変えられていくことが「御霊によって新しく生まれる」ことです。誰でも水と御霊によって新しく生まれなければ、神の国に入ることができません。
 ところで、<エペソ2:8>に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とあります。したがって、人が水によって新しく生まれることができるのも、永遠のいのちに至るのも、ただ父、子、聖霊の三位一体の神の愛によるものであり、価なしに下さる賜物です。毎日御霊によって霊を生み、心の罪と悪を脱ぎ捨てて真理の心に変えられて、最も美しい天国、新しいエルサレムを望んでいかれますように。 

 

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