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【教会コラム】霊的な子ども


Hatena

 天の御国ではだれが一番偉い人なのか、弟子たちがイエス様に聞きました。すると、あなたがたも子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れないと言われて、「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人」だと教えてくださいました。霊的に子どもになってこそ、天の御国で一番偉い人になれるということです。神は、天真爛漫で世の垢にまみれていない子どものように、霊的に純粋で、単純で、へりくだった心を持つことを望んでおられます。 

 

 

1. 霊的な子どもの特徴

第一、単純です。

 子どもは単純なので、すぐ何かによく適応して、どう教えるかによって良くも悪くも変えられます。おとなよりは世の垢にまみれていないで、自分の主観がはっきりしていないし、考え方も単純です。まるで白い紙に絵を描くように、子どもはおとなが教えるとおりに受け入れます。「弟をかわいがらなければならない。買い食いをしてはいけない」と教えるとおりに、「しなさい」ということはして、「してはならない」ということはしません。
 このように私たちが霊的に子どもになれば、みことばを聞くとき、そのとおりに信じて聞き従います。信仰の父アブラハムは子どものように単純だったので、神のことばのとおりに聞き従いました。ひとり子イサクを全焼のいけにえとしてささげなさいと言われた時も、どんな言い訳も弁解もしませんでした。「これが自分にとって正しいことなのか、自分に利益になるのか」を問いませんでした。神が命じられるので、必ず良きみこころがあると信じて、直ちに従いました。
 私たちも天の御国で一番偉い人になるためには、世の垢にまみれていない子どものように単純で、真理を学んだとおり信じて、聞いたみことばにそのまま聞き従わなければなりません。

 

第二、純粋です。

 子どもはどんな思いも判断、分別力も全くない、無の状態で生まれます。育ちながら親と家族、隣人と友だちから善と悪を学び、物事をわきまえるようになります。子どもは良い物を手に入れればそれだけで幸せになり、悲しければ泣き、うれしければ笑い、純粋に反応します。間違ったことをした時は恐れて、良心の呵責をひどく感じます。
一方、おとなは世の闇に染まって純粋でなくなるので、罪を犯しながらも良心の呵責を感じられなかったりもします。何が正しくて正しくないかを学んでも、悪に染まっているので、過ちを犯しながらも無感覚です。
 しかし、霊的な子どもになれば、どうでしょうか。善であれ悪であれ、敏感に反応します。良いことを見ればすぐ感動して涙を流し、悪いことは身震いするように嫌います。世の人は悪だと思わないことも、真理の人は神が悪だと言われるならとても嫌って、何としてでも捨てようとします。ただ良いことだけを切に慕って、ほんのわずかな罪と悪でも決して容認しません。

 

第三、高ぶりません。

 子どもは知識が少なくて力が弱いので、おとなが何かを教えれば、自分の考えを強く主張しないで、そのとおりに信じます。自分の欠けているところを隠そうとしないで、親やおとなに助けを求め、自尊心を打ち出さないで、自分で自分を高くしたり認められようとしたりすることもありません。
 同じように、霊的な子どもは、神のことばを聞くとき、自分が正しいと主張しません。みことばが自分の知識と合わなかったり理解できなかったりしても、さばいたり誤解したりしないで、信じて聞き従います。イエス様が行われた力あるわざを信じて従った人々は「これほどの神の力を行う方なら、きっと神の人だ」と思いました。自分の思いに合わなくても、力をもって神がともにおられるのを見るとき、イエス様のおことばが正しいと、へりくだって認めました。
 霊的な子どもは神のみわざを聞くとき、自尊心を打ち出さないで、自分も体験したいと慕います。真理を聞けば、そのとおりに信じて聞き従って、へりくだって恵みを求めます。神はそのような人に神の驚くべきみわざを体験するようにされます。

 

2. 霊的な子どもになるには

1)火のような祈りとみことばによって罪と悪を脱ぎ捨てなければなりません

 <第一ヨハネ2:16>に「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。アダムが罪を犯した後、この世は闇の支配者である敵である悪魔に属するようになりました。人々は真理でないものを見て聞いて学びながら、心が罪と悪で染まっていったし、高ぶり、憤り、さばき、欲、ねたみなど、真理でないもので心が汚れてしまいました。
 したがって、<第一テモテ4:5>に「神のことばと祈りとによって、聖められるからです。」とあるように、火のような祈りと神のことばによって罪と悪を脱ぎ捨てなければなりません。欲と自尊心、その他のすべての罪と悪を脱ぎ捨てるほど、清い良心と純粋な心になります。そうする時、神のことばを聞き次第信じて悟り、さらに完全に聞き従えるのです。

 

2)さまざまの思弁とはかりごとを打ち砕かなければなりません

 <第二コリント10:5>に「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、」とあります。ですから、自分が知っていることや正しいと思っていることから生まれる「さまざまの思弁」や「すべてのはかりごと」が神のことばと合わない時は、どんなことでも捨てなければなりません。ただ神のことばだけが真理であることを信じて、みこころに従うことが最優先にならなければなりません。人が持っているほとんどの知識と考え方は敵である悪魔が支配している世から出たもので、神のことばと一致しないからです。
 <第一ヨハネ2:15_16>に「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。
 この世の支配者が敵である悪魔なので、人々は生まれた時から真理でないものを思いに入れるようになります。このように世で真理でないものの中で成長したので、霊的な子どもになるためには、世から出たものを捨てなければなりません。もし自分が正しいと思っている考え方で神のことばを疑って否認しようとすれば、みことばそのものである神に逆らって立つことと同じです。神の御前に高ぶりなのです。自分の思弁を展開して、はかりごとを巡らせる人は、聖霊の働きに従ってみこころのとおりに行う人をさばいて罪に定めます。
 マルコの福音書14章を読めば、ある女性がイエス様をこの上なく愛して、非常に高価なナルド油をイエス様の頭に注ぎます。これを見たある人は、この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに・・・と思って、おもしろくなくなったのです。するとイエス様は「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」と言われました。この女性はあれこれはかりごとを巡らしたのではなく、正しい心に従って行ったので、イエス様にほめられて、後々まで覚えられるようになりました。
 一方、さまざまの思弁を展開して、はかりごとを巡らしていく人々は、みこころにかなうように行う人を非難して、肉の思いを捨てないので、結局死の道に向かうようになります。それで、<ローマ8:7>に「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」とあるのです。
 霊的な子どもになるには、火のように祈りながら神のことばを武具として身につけ、いつも自分の思いと言葉を真理に照らしてみなければなりません。さらにさまざまの思弁と神に逆らって立つ知識を打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにして、ただ御霊による思いをして、御霊によって歩むために努めなければなりません。このように徹底的に自分を捨てて霊的な子どもになってこそ、神が望んでおられる御霊の人に変えられて、天の御国で一番偉い人と認められるのです。 

 

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