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ギフテッド、マイノリティとして生きる。生活の知恵探しブログ。凸凹な日常での発見・悟り・考えていることを綴ります:)。

【教会コラム】すべてのはかりごとと思弁を打ち砕こう


Hatena

 イエス・キリストを受け入れて罪の問題を解決し、神に喜ばれる全き信仰を持てば、どんなことでもできます。神と交わって、いつもうれしく幸せに生きていくだけでなく、求めることは何でも答えられるので、うらやましいことが全くありません。反対に、「主よ、主よ」と言いながらも、全き信仰を持てなくて、神に喜ばれることができないことが多いのです。それでは、なぜ信じると言いながらも全き信仰を持てないのか、その妨害要因は何でしょうか。 

 

 

1. 信仰を妨げる肉の思い

 人は生まれてから見て聞いて学んだ知識を頭の中に入力します。このように頭に入力された知識を再生して、思い出させるものが「思い」です。思いには二つがありますが、それは「肉の思い」と「御霊による思い」です。<ローマ8:8>に「肉にある者は神を喜ばせることができません。」とあるように、聖書では肉が、人のからだではなく、霊的な意味で使われている場合が多いです。
 霊的に「肉」とは、人のからだと罪の性質が結びついたものを言います。憎しみ、憤り、さばくこと、罪に定めること、ねたみ、高ぶりなど、まだうわべに現れていないけれど、いつかは誘発されて行いとして現れうる、真理でない属性です。
 このような肉を基に考えるとき、神のみこころと反対になる悪い思いが出て来ます。これがまさに「肉の思い」です。言い換えれば、真理でない思いなのです。これと反対に、御霊による思いは神のみこころにかなう真理の知識を呼び起こします。つまり、真理の思いです。
 たとえば、誰かが自分に礼儀に反することをしたり、不当に非難したりする場合、自尊心が傷ついて不快になったら、これは肉の思いです。このような思いをする人はイライラを相手に言葉で表現したりもし、そうはしなくても、さびしく思ったり心が揺れ動いたりして苦しみを受けます。
 神は「仕えなさい、低くなりなさい、相手の利益を求めなさい」と言われましたが、そのみことばに聞き従うことが損だと思われるなら、これも肉の思いです。このような肉の思いを捨てられなければ、みことばに聞き従うことができないし、神が下さる祝福をいただくこともできません。
 このように肉の思いをする最も根本的な原因は心の中に真理でないもの、すなわち、肉があるからです。自分の中に真理の知識だけがあるなら、当然御霊による思いだけをするようになります。
 ところが、御霊による思いをしようとしても、真理と真理でないものをよく見分けられなくて、自分でも知らずに真理でない思いをする場合も多いのです。ある本には、親の怨みを晴らすことが正しいと書いてあります。その本を読めば、そのような価値観を真理として受け入れやすいです。しかし、神のことばに照らしてみれば、決して真理ではありません。むしろ敵を愛して、七度を七十倍するまで赦しなさいと言われています(マタイ18:22)。
 このような真理の知識があれば、自分を苦しめる人を見ても「赦さなければ、愛さなければ」と、御霊による思いをしようと努力できます。しかし、神のことばと反対になる真理でない知識を持っている人は「あの人は悪いから、とうてい愛せない」と、自分の価値観に従って生きていきます。このように肉の思いをすれば神のことばに聞き従えないので、全き信仰を持てないのです。

 

2. 神のことばに背くさまざまの思弁

 「思弁」とは「よく考えてものの道理をわきまえること。」です。その中には神のことばに反するものがあって、霊の信仰を持つことにおいて妨害要因になります。思弁と知識は人類文明の発達に大いに寄与しましたが、だからといってそれが全部真理なのではありません。思弁は人の認識と経験に基づいて展開していくだけです。ですから、一つの現象に対してさまざまの思弁があるのであり、以前正しいと思われていた思弁が、時間が経つと正しくないと思われることも起こるのです。
 このように思弁は時代や文化によって変わりもし、真理もあるけれど、真理でないものも多いのです。そのような知識と思弁に執着すれば、神のみわざを信じにくいし、みことばに聞き従えません。
 聖書には神が人を創造されたと記してありますが、学校では人は類人猿から進化したと教えます。もし一つの仮説にすぎない進化論を事実として受け入れるなら、創造主の神を信じにくいです。人間の思考と経験を押し立てる人がどうやって無から有を創造された神を信じることができるでしょうか。
 自分の知識と思弁に神のことばを合わせようとすれば、全き信仰を持つことが難しいです。ですから、何よりも創造主の神のことばに照らして、真理と真理でないものを正しく見分けることが大切なのです。神に喜ばれる全き信仰を持つためには、明らかな真理でないものに属する肉の思いはもちろん、世の間違った知識で作られたさまざまの思弁まで打ち砕いて、捨てなければなりません。

 

3. 肉の思いとさまざまの思弁を打ち砕くには

 イエス様は「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。」と言われました(マタイ5:39_40)。このような神のことばは肉の思いや思弁を打ち砕かなければ、従うことができません。それで、<ローマ8:7>に「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」とあるのです。
 <第二コリント10:5>には「さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、」とあります。私たちが神の知識に逆らう、肉の思いとさまざまの思弁を打ち砕いて、神のことばに聞き従うには、どうしなければならないでしょうか。
 たとえば「嫌いだ。憎らしい。むなしい。つらい」という肉の思いが浮んだとしましょう。この時、「いや、私の思いが間違っていることもある」とまず止めなければなりません。肉の思いはすればするほど、自分がさらにつらくなるだけだからです。
 その次は、神に対して反抗する肉の思いの根を把握しなければなりません。「嫌いだ。憎らしい」という思いが浮んだら、自分の中に「憎しみ」があるという証拠です。自分を無視する言葉のために傷ついたら、「自尊心」や「高ぶり」があるということです。このように自分の行動や心を詳しく解剖して、その根に該当する悪を発見してこそ捨てられます。
 したがって、このような肉の思いをはじめとしてさまざまの思弁を捨てるためには、神のことばをまめに心に糧として行わなければなりません。心の中にある「憎しみ、憤り、ねたみ、さばくこと、高ぶり」などの真理でない闇を引き抜いて、「愛、理解、赦し、仕え、平安」など、真理である光で満たしていかなければなりません。
 たとえば、兄弟を憎んでいた人が「敵をも愛しなさい」というみことばを聞きました。このみことばを知っているからといって、「憎しみ」が捨てられて、愛せるのではありません。また、敵を愛するようにしてくださいと祈るだけで、できるのでもありません。憎しみという真理でないものを引き抜くためには、まず徹底的に悔い改めて、自分を赦してくださった主の愛を思いながら、相手を愛するために不断に努力しなければなりません。相手に先に笑ってプレゼントするなど、積極的な愛の行いが必要です。そうしながら祈って断食して、神の恵みを受けて強くされれば、憎しみの属性が引き抜かれ、代わりに愛が満たされます。このような方法で真理でないものを一つ一つ全部捨てて真理で満たしていけば、これ以上肉の思いを巡らさなくなります。
 私たちが肉の思いを捨てて自分の思弁を打ち砕けば、神のことばに喜んで聞き従えます。さまざまの思弁を打ち砕くということは、世で学んだ知識や経験、思考などが神のことばに背けば、徹底的に無にするという意味です。ただ神のことばだけが真理なので、それに合わないものを打ち砕くために火のように祈れば、聖霊が助けてくださるので、十分に打ち砕いて捨てられます。全知全能の創造主の神を信じられないように妨げる要素である肉の思いとさまざまの思弁を完全に打ち砕いて、求めることは何でも答えられ、すべてに栄える生き方になりますように。

 

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